東京の とある児童養護施設。
ここでは、死別・病気・虐待・経済的問題など、
さまざまな事情で親と離れて暮らす子どもたちと
職員が日々を過ごしています。
家族とも他人とも言い切れない、
そんなつながりの中で育つ子どもたちの本音と、
彼らを支える眼差しに密着しました。
生きることへの不安。うまく築けない人間関係。
変えられないものと、ともに生きていくということ。
ここに映っているのは、特別なものではなく、
葛藤しながらもたしかに大人になっていく姿と、
それを包んでいる、いつか忘れてしまうような日常の景色です。
この映画を観終わったあとは、
彼らだけでなく自分が歩んできた道のりを
きっと肯定したくなる。
そして、あなたの"ふつう"が少しだけ広がるかもしれません。
配信やパッケージ化は予定しておりませんので、
ぜひ劇場でご覧ください。
この映画は、ある子どもたちのごく普通の日常を記録した物語です。彼らは、様々な理由で自身の親から離れて児童養護施設と呼ばれる場所で日常を送っています。 僕たちは、この映画を、出演してくれた皆のこれからの人生のお守りになるようにと願いながら作りました。なぜなら、彼らは18歳を過ぎて自立する準備ができたら、その場所から巣立ち、自分の力で生活をしていかなければならないからです。そして、社会の中で自分の力で暮らしていく時に、とても大きな苦労を味わうという話を聞いたからです。
彼らが将来生きることに苦労するようなことがあった時に彼ら自身が観て、生きる力を呼び覚ますお守りのような存在になってほしい。いつか自分たちのこれまでの道のりを客観的な視点で見て、昔から自分には前に進んでいく強い力があり、さらに多くの周囲の人々に純粋に応援されて、ここまでやってきたのだと思い返せるようなものでありたい。そう願いながら、共に過ごした時間を記録し、編集をして一本の映画にしました。
従って、これは未来で葛藤している僕の大切な友人達のための映画に他ならないのです。 そしてこの映画を観てくださる方々には、これまで知らなかったすぐそこにある日常の中の「普通」の感覚の差分の中に、全ての人々にとって大切なものが隠れているのを目撃していただきたいです。同じ地域に暮らしているが、知っているようで、知らなかった葛藤を映画の主人公である子どもたちや職員の方々と共に感じ取り、感情を共有することで、より深く関心を持つための入り口として果たせる役割があるのではと考えています。
試写が始まり、多くの反響を頂き、偶然から始まった本作が形になる事は必然になりつつあると実感しています。
同時に皆様に制作の動機を聞かれる事も多く、この場を借りて改めて簡潔にお伝えさせて頂くと、約4年前に1日限りのイベントのスタッフとして訪れたとある児童養護施設の子が、帰り際に何とも言えない表情で私達大人を見ていました。「貴方もまた、もう二度と来ない大人なんだね」とでも言わんばかりのその目が忘れられず、時折、個人的に施設にお邪魔していました。"質より量"という表現は相応しく無いですが、『大きな家』を観てもらえたらわかると思いますが、彼ら彼女らと接するには、"会う回数"がモノを言う気がしました。元々は知らないおじさんである私に、徐々に色々な話をしてくれる子どもたちのこれまでの物語や、施設での日々を、多くの人に知ってもらいたいと願った矢先に竹林監督の『14歳の栞』という、劇場のみでの上映で被写体のプライバシーを守るという誠実な映画のアウトプットに出逢い、本作の企画が始まりました。
ハンバート ハンバートさんが「トンネル」という素晴らしい楽曲で、子どもたちや職員方、そして我々製作陣までも包み込み、光の方へ導いて下さり『大きな家』は完成致しました。
本作は"被写体ファースト"で非商業的な特殊な上映を目指しているのもあり、作品に共鳴して下さった方々のサポートを必要としています。
どうぞお力をお貸し下さい。
COMMENTS
会ったこともないのに、大切な人が増えてしまったような感じ。
周囲より少し先に、大人にならざるを得なかった子どもたちの幸せを願います
子どもたちの表情を、紡ぐ言葉を、知る事ができる。
その一つ一つが忘れられず、これから先も自分の心に残り続けると思います。
子どもたちの光ある未来を切に願います。
子どもたちの真っ直ぐな言葉がグサグサと胸に突き刺さり、社会の一員として何が出来るのかを考えさせられる。
ずっと映画に関わってきたのかもしれない。
そんな、自分の理由になるくらいの
作品ができました。